1879年(明治11年)五月に来日。東京・横浜滞在から 日光、福島、新潟、山形、秋田、青森、北海道を3ヶ月かけて旅し、訪ねた先々の見聞・体験を繊細なスケッチとともに 記録し、郷里のイギリスの妹宛に手紙を送っています。これをもとに旅行記としてイギリスで出版され、好評を博しました
その90年後の昭和48年に日本語に訳した「日本奥地紀行」(高梨健吉訳 平凡社刊 )※が出版されました。
私は最近になって、完訳「日本奥地紀行」金坂清則訳注 やイザベラ・バード「日本の未踏路」高畑美代子訳・解説の書から、バードが福島の高田近郊の農家で見聞きした和紙のことを詳細に記述している部分を見つけ、興味深く読みました。(上記※では和紙のこの部分をはじめ、多くの箇所が削除されている)
完訳「日本奥地紀行1「横浜-日光-会津-越後 」(全4巻)金坂清則訳注(2012年3月21日初版第1刷発行 平凡社刊)からその部分を紹介します。
日本では紙が重要な役割を担っている。高田の近くのある農家(23)を紹介してもらい、紙のことを少し学ぶことができたのはとてもうれしいことだった。非常に礼儀正しい人でもあった。楮(こうぞ)(24)はポリネシア人が「タバ」という紙布(25)の原料にする植物「梶」(かじ))と同じである。日本ではこの栽培が非常に重要な産業になっている。藤空木(ふじうつぎ)(26)や芙蓉(ふよう)(27)の仲間も楮と混ぜ合わせるのに用いられるが、その量はごくわずかである。
作られる紙「和紙」の種類は60種類以上あり、その用途は通例によって決まっている。
壁、窓、湯飲み、懐紙、提灯、紐、包み紙、合羽、笠や行李の覆いは言うに及ばず、家庭のあらゆる目的に使われるし、専門家もあらゆる目的のために使う。消費量は膨大になる。私たちだとリント布や包帯・布地を使うような場合にも紙を使うのである。非常に強靱なので簡単には破れないし、実にすばらしく繊維が透けて見え、この上なく優美な「縮緬」(ちりめん)のように柔らかい最高級品でさえも、よほどのことでないと破れない。立派な金蒔絵細工(きんまきえざいく)を包むにはこの紙がよく用いられる。
この農家では自家用に少量の紙を作っていた。主人の田中(28)の話だと、楮は五フィート「1.5メートル」になるまではのび放題にしてから毎年刈り込む。そして切った木は数日間水に浸した後、樹皮をはぎ取り、灰汁で煮、上質紙の原料にする内側の白い部分を外側の樹皮と分離する。田中は一番よくない樹皮だけを使っている。ハワイ(29)でもそうだったが、樹皮は叩いてパルプにし、少量ずつ型枠にとり、天日干しにする。
田中は目の粗い灰色の紙を作っている。(30)この紙は一番貧しい階層の人々が使う木枕を柔らかくする当て物のカバーに使われる。長さ14インチ「35.6㎝」幅11インチ「25.4㎝」の紙の束の三枚の売値はわずか1ファージング「1/4ペンス」(31)である。
この後は水田地帯を5時間にわたってとぼとぼと進んだ。気が滅入った。湿気の多い気候とこのような旅の仕方による疲れのために健康状態が悪くなってきており・・・・
(23)~(31)の説明 一部省略
(23)高田の近くの農家は高田の東南2キロの西勝村にあったと考えて手間違いない。
この村では明治初期にはすでに衰退していたようであり、バードの記述からもそれが窺 われるが、江戸時代には西勝紙の製造で知られ、最盛期には村の半数24戸 の家が紙漉を 行っていた(会津高田町史編纂委員会編)西勝村には高田に入る前に通過しているが、 田中仙三の同行を得て初めて視察できたわけであり問題ない。バードが疲労の極みにあ り、また時間にゆとりがなかったにもかかわらず、この見学を行ったのは、和紙につい て見聞したい意向が事前に地元に伝えられていたからであると見なければならない。と されている。
(25)タバというカジノキの皮を石で打って繊維だけにして作る紙に似た布(タバ布) のこと
(26)藤空木(ふじうつぎ)本州・四国の日当たりのよい谷間の林縁などに生える落葉性 低木←現在のノリウツギのことか? (渡辺弘子考)
(27) 芙蓉 アオイか科芙蓉族の落葉低木樹皮は製紙に用いられるが、芙蓉の自生地は九 州以南の東アジアの暖地であり、会津の和紙製造に用いられるわけではない。←
(26)藤空木(ふじうつぎ)本州・四国の日当たりのよい谷間の林縁などに生える落葉性 低木←現在のノリウツギのことか? (渡辺弘子考)
(27) 芙蓉 アオイか科芙蓉族の落葉低木樹皮は製紙に用いられるが、芙蓉の自生地は九 州以南の東アジアの暖地であり、会津の和紙製造に用いられるわけではない。←
トロロ葵のことか (渡辺弘子考)
(30)バードが記す用途は厚めで強靱である西勝紙とこの用途は矛盾しない。
(31)約5厘 と極めて安い
藤空木も芙蓉も和紙漉きには欠かせない糊(ねり)としての使用のものだと思われます。(渡辺弘子考)
(30)バードが記す用途は厚めで強靱である西勝紙とこの用途は矛盾しない。
(31)約5厘 と極めて安い
藤空木も芙蓉も和紙漉きには欠かせない糊(ねり)としての使用のものだと思われます。(渡辺弘子考)
イザベラバードの「日本奥地紀行」では山形の置賜盆地の美しさをアジアのアルカディアと最大級の讃辞を贈っていることで知っている方が多いと思います。興味を持たれた方は完訳「日本奥地紀行」 を読まれることをお勧めします。たちまちあなたもバードと一緒に当時の東北農村の暮らし、文化の旅に出かけられるでしょう。
現在の全国各地の伝統手漉き和紙は和紙漉きもバードが記述したものとほとんど変わらないやり方で漉かれていることに、私は驚きと感動を覚え、改めて和紙のすごさを感じます。
日本の和紙を巡っては先般2014年10月28日ユネスコの補助機関が「日本の手漉和紙技術」を無形文化遺産に登録するよう勧告し、11月下旬には登録が決まる見通しとか。石州半紙、細川紙、美濃紙はもちろんですが全国の他地域の和紙も今後ますます注目されることでしょう。